「青幻ワンドロワンライ」企画のお題をお借りして書いたもの。
タイトルは今回の再録にあたって付けました。
お題:「待ち時間」
読めばお解りかと思いますが、夏目漱石の夢十夜(第一夜)と手塚治虫の火の鳥の影響を受けています。
青幻を宇宙を行かせるのは自分の使命だと思っているので、彼らは宇宙へ行きます。永い時を彷徨った後、宇宙の果てで彼らは再び巡り合うのです。
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恒星間航行で広い宇宙を渡り歩き続ける。それが人工生命体である僕の一生であった。
母星ではこれまで様々な天体を遠距離から観測してきた。僕の仕事はそれらの天体の側まで行き、詳細なデータを取ることであった。僕には夢野と云う人間のパートナーが居た。
データの収集などは人工生命だけで行うことも可能である。然しわざわざ人間が同席している理由は、彼らが人工生命の学習を手伝う為であった。逆に、僕らが何らかのヒューマン・エラーに対応することもあった。例えば、宇宙船システムの潜在バグの発見と修正である。兎角人間はミスする動物である。それは人間の生み出した人工生命も同様であった。そしてそれが、両者の組として航海をする理由に繋がっている。要するに、我々は互いに補う関係にあるのだ。更に、僕らは人間を支援しながら、自分のミスを自ら修正する方法を学習していく。そして最終的には、寿命の有する人間が居なくなっても、人工生命だけで旅が続けられるようになるのであった。
夢野はよいパートナーであった。彼に育てられながら、自分が成長していくのを感じるのは喜びであった。
人の言葉には「母」と云う概念を表す語がある。人工生命である僕には、人間のような意味に於いての母は居ない。強いて言えば、僕を作った何人もの科学者達が母と呼ばれる存在であろうが、夢野もその一人だと言えよう。
夢野の声や姿は優しかった。「優しい」なる概念を知ったのも彼のお陰であろう。彼の眼は綺麗な翡翠色をしており、髪は亜麻色で柔らかそうであった。彼が僕を見詰めるときは何時も、自分が人工生命であることを厭わしく感じた。彼の大きな瞳に映る僕の姿は、人間によく似せて作られたヒューマノイド・ロボットであった。僕の実体は宇宙船のメインコンピュータの一部であるから、宇宙船の一部であると言ってもよい。人間と接する為のインタフェースとして、ヒューマノイドを使っているに過ぎない。然しその為、僕は僕の望む通りに、彼の髪を撫ぜ、細い体を抱き締めて、白い額にキスをすることも出来たのだ。人間の母子のように、或いは恋人同士のように、見詰め合うことさえも可能であった。然し無論、僕は実際それを実行するようには作られていない。
それでも、僕は「幸せ」であった。夢野と出逢い、彼の傍らに居られることが、僕にとっては至上の喜びであった。だから、僕らの幸福な旅は穏やかに続いた。
処が或る時、夢野は病気になった。もう治らない病――寿命なのだと彼は言った。死の近い人間は母星へ帰還する手筈となっていたが、夢野はそれを拒んだ。彼は僕に地球に行きたいと言った。地球は夢野らの子孫の生まれた太陽系の惑星である。宇宙へ散開して暮らすようになる前に、人間が住んでいた惑星であった。僕らはその惑星へと向かった。
其処は水のある、青い星であった。僕は星の大地に降り立ち、夢野を背負って歩いていった。
蔓植物が廃墟となった都市を覆っていた。人間が地球を完全に離れてから数千年が経つと云う。都市の建材が主に石であった為、その形が辛うじて残されており、骸のように横たわっていた。此の場所に何らかの文明が存在していたと云う記憶を、厳かに未来へと残していた。教会と思しき大きな建物を抜けると、其処には鏡のような美しい池があった。大きな植物や動物は見えなかったが、水を綺麗に保つ微生物は居るのだろう。自然に飲み込まれながらひっそりと存在する都市を、磁気テープに記録された映像のように、池の水面が映し出していた。僕と夢野は辺りに座り、その水鏡の中の都市を見詰めていた。
「私が死んでも待っていて下さい」
夢野が僕に囁いた。
「蓮と云う植物をご存知ですか。ハス科の多年性水生植物です。この惑星に存在していた時代がありました」
彼はとても眠そうであり、僕の胸に寄り掛かった。僕は彼の死が近いのだと悟った。
「蓮の種子は生命力が強いのです。二千年以上もの間地中に埋もれていた古代の種が、発芽したことがあったそうです」
夢野は辛そうに少し顔を持ち上げて、何時もの不思議な色合いの大きな瞳で僕を見詰めた。
「ですから、二千年後に迎えに来て下さい。私を眠りから覚まして下さい」
それだけ言うと、彼は僕の腕の中で眼を閉じた。
僕は彼を池の辺りに埋めて、地球を離れた。
航海を続けながら、僕は片時も彼のことを忘れることがなかった。そうして二千年が経った。
僕は再び水の惑星を訪れて、あの池まで行った。不思議なことに、其処には沢山の蓮が咲いていた。水面の少し上に大きな葉が開かれ、その上にすらりと伸びた茎の先に、丸い花が付いていた。丁度夜であったので、ひっそりと花は閉じていた。紫掛かった薄紅色の花は、何処か控えめに佇む夢野の姿を思い起こさせた。
夢野の墓の側に座り、僕は朝を待った。徐々に花が開いていった。花弁が完全に開かれ、花托が見えた。
然し、冷たい土の下にいる彼は、ついに眠りから覚めることはなかった。
僕はその場を立ち去った。
何千年、何万年の時が流れても、人工生命は自らをコピーすれば生き長らえる。何時の間にか母星からの信号も途絶えていた。それでも僕は孤独な旅を続けていた。
そして、不思議な形の星雲を見付けた。
それは宛ら宇宙の蓮であった。光り輝く星々を背景に、星間ガスや宇宙塵が丸い葉と伸びやかな茎の形の星間雲を作り出していた。そしてその上には、一際印象的に照らし出される球状の花の蕾が乗せられていた。
その蕾は綻び掛けていた。星々が生まれ、星雲の形が徐々に変わっていく。僕は待った。世界の終わりになるのではないかと思える程の、果てしない時間を待ち続けた。
宇宙の蓮は何億年もの時間を掛けて開いていく。
そうして、その時が来た。
甘い香りが辺りに立ち込め、美しく開かれた花が僕に語る。
――漸くあなたの許へ帰って来られました。
待ちくたびれたよ、と僕は彼に言った。彼は笑って、これからはずっと一緒です、と答えた。
僕は輝く花の中へ飛び込んだ。
夢野の翡翠色の瞳が見えた。白い腕が僕の手を取り、引き寄せる。僕らは一つになりながら、その光の中へと溶け込んでいった。