田山花袋『蒲団』パロ青幻
2次創作2024.04.03 12:44

 Tは事態を把握しつつ、冷静に対処しようと試みた。然しその努力の甲斐も虚しく、身動ぎせず沈黙の儘、眼前のふたりを凝然と見詰めているだけしか出来なかった。Tにとって彼らのしている行為は、汚らわしく、低俗で、浅ましく、獣じみて、見下されるべきことの筈であった。嫌悪感を抱きながらも、善の心を以て、毅然と正されるべきことの筈であった。然るにTは圧倒され、戦慄した。この状況を意識の外へ追いやろうとした。だが今正に、Tの双眸に焼き付けるように行われている彼らの目合いは、それに拠ってTが余りに切望していたものを奪われたが為、却って、手の届かぬ天上での出来事のように感ぜられた。ふたりは天使でもあり、悪魔でもあった。嗚呼、何と云う悍ましさよ!――そう感ずれば感ずる程、それを熱望した。欲しても手に入らぬことを熟知しているが為、却って、それに手を伸ばすことを止められなかった。只、眼の前に居る青年と美貌の小説家の蠢く姿を見続けた。

 青年は彼の妻となった小説家を組み伏し愛撫した。夢中で妻の唇や首筋、胸の上の小さな突起にしゃぶり付いていた。傍らのTの存在を微塵も感じて居ないかの如く――。小説家の方は、時折Tの方を気不味そうに見遣ったが、良人に与えられる肉体的そして精神的快楽の波に全てを奪われ、彼に全身全霊を委ねた。Tはふたりから視線を逸らすことすら出来ずに、愛する弟子が青年のものになっていく全ての過程を見ていた。然り、彼はふたりの愛の証人なのだ。

 事実Tはふたりの擁護者でもあった。上京して来た才能ある若者を保護し、師として丁寧に教えを施した。師匠と弟子は一心同体で精進した。その甲斐あって彼は文壇で認められ、新進気鋭の小説家として輝かしい未来を歩み始めた。彼はTに大恩がある。誠実な彼は勿論その恩を重く感じている筈だった。それ故、自分が彼に向けているのと同様の愛を、彼から向けられて然るべきだった。彼自身の口から恋路の話を聞いたときでも、内心慄然としながら、取り乱さず彼に助言を与えた。何時かはこの美しい弟子が自分のものになることを期待しながら――。

 それがどうだ――。今や彼らはTの用意した楽園から去り、宛らアダムとイヴのように肉体を絡み合わせている。まるで、蛇のように――。嗚呼、彼に知恵を授けた蛇は一体誰であろう? 日の光を見るよりも明らかであった。それはT自身であった。否、否――! 彼らは知恵の林檎を自ら食したのだ。これは大いなる裏切りである――。

 そのとき、小説家の濡れた瞳がTを捉えた。何かを訴えるような眼だ。罪悪感に苛まれて赦しを乞いているように、Tには感ぜられた。当然だろう。自分から去るなど出来ようもない。然し彼は去っていった。――何故だ、何故だ? そう問おうとしたそのとき、小説家の白い顔は青年の体で遮られた。青年は何事かを妻の耳元で囁いた。そして、彼はTの方へ振り向いて、何かを言った。声は聞こえない。だが、Tにはその口の動きではっきりと分かった。

 ――羨ましいだろう。お前も欲しいか?

 青年は再び妻の方を見て行為に集中した。Tの怒りは燃え盛った。然しながら、小説家の白い肢体、朱に染まる頬、妙なる嬌声、甘い汗の香りに感覚を奪われた。

 何と、美しい――。

 Tは下腹部に圧迫感を感じた。然し余りにも艶めかしい嘗ての弟子の姿に、Tは自身の神経を疑うことが出来ない。次第に彼らの動きに合わせ、自身の性器を弄っていることに気付いた。

 嗚呼、こんなことはあってはならぬ――。

 だが、止めることは出来ない。妻の後孔へ自身を挿入して律動する青年に、自身の姿を重ね合わせることさえした。彼を手に入れる為ならば、何をしたとて構わぬ境地にTは居た。それは、汚らわしく、低俗で、浅ましく、獣じみて、見下されるべき心根であろう。昂ぶる神経が本能を呼び覚ます。そうして――。青年がオルガスムスに達したと同時に、Tも其処へと達した。彼もまた、楽園から出たのであった。